朝の光が、レースのカーテン越しに差し込む。
まぶたの裏にじんわりと明るさが届いて、ルシフェリアはゆっくりと目を覚ました。
(……ん……)
体を動かそうとして――
(……い、痛っ……)
お腹の奥が、ずん、と重く響いた。
腰のあたりも鈍くて、寝返りを打つだけでもつらい。
昨日の、あのときのことを思い出すと、顔が熱くなると同時に、お腹までじんわり痛む。
(……あれから、ずっとティオ様が側にいてくれて……)
また大泣きしたのに、私の話を聞いて全部受け入れてくれて。
(言いたいことぐちゃぐちゃだったのに、わかったよって優しく笑ってくれたし……)
トイレもお風呂も、移動するたびに付き添ってくれて、身の回りのことはすべてやってくれた。
不思議と、恥ずかしさよりも安心感のほうが勝っていた。
(……どうしよう、すきすぎる)
私が寝るまでずっと、頭を撫でて、『可愛い』『大好きだよ』『ありがとう』と何度も囁いてくれて……
そんなことを思い出していると、ふわりと額に温かい手が乗せられる。
「……起きた?」
穏やかな声。
ベッドの脇にしゃがんだティオが、心配そうにこちらを見つめていた。
「体調どう?……お腹、まだ痛い?」
「……うん。ちょっとだけ……ずんってしてて」
「無理しないで。今日はずっとそばにいるから……何でも言ってね」
その言葉だけで、また涙が出そうになる。
けれど今は泣かずに、ただ――
ゆっくりと手を伸ばして、彼の指をぎゅっと握りしめた。
***
身支度までも手伝ってもらって、促されるままにもう一度ベッドに横になった。
優しく手を撫でてくれて、そのぬくもりに、少しずつ心もほぐれていく。
けれど、まだ下腹部の違和感は残ったままで――
「……ティオ様……」
「ん?」
ルシフェリアは潤んだ目で彼を見つめながら、少しだけ困ったように笑った。
「……一緒に、頑張ろうって言ったのに……今日はまだ、無理そうです……」
ティオはすぐにルシフェリアの手を握り返す。
「……君がこんな状態なのに、するわけないでしょ」
あきれたような口調だけれど、どこかくすぐったいような優しさがにじんでいる。
「大人しく休んでね。……今日も一緒にゆっくりしよう」
そう言って、ティオもベッドに横になって身を寄せた。
そして、ルシフェリアはぽつりと漏らす。
「……なんか、まだ……ティオ様が中にいるみたいなんです」
ティオは一瞬、言葉を失って。
「……君は、またそういうこと言って……」
そう呟くと、ルシフェリアの唇にやさしくキスを落とした。
吐息と共に、ふわりと香る朝の光と甘さに包まれながら、ふたりの静かな時間が、そっと重なっていく――。
(あったかいな……ティオ様……)
ティオの唇が名残惜しそうに離れたあと、ルシフェリアはそっとまぶたを伏せた。
「……あの、ティオ様」
「うん?」
腕の中でルシが小さく体を動かしながら、少し照れくさそうに言った。
「お父様とお母様から、“好きに行き来していい”って許可をもらってて……」
「うん?」
「だから……また、泊まりに来てもいいですか?」
ティオは一瞬だけ驚いた顔をして――すぐに、ふっと笑う。
「……そんなの、いつでもおいでよ」
優しく撫でる手が、ルシフェリアの髪をすくい上げる。
「むしろ、来てくれないなら僕が泊りに行くかも」
「っ……もう……」
ぽそりと呟いて、私は胸元に顔を埋めた。
しばらくそのまま甘えたあと、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば……私、ティオ様のご家族にまだちゃんとご挨拶できてないんですよね」
「ああ、そうかも。……婚約式で少し顔合わせただけだね」
「だから、ちゃんと改めてご挨拶に行きたいです。お世話になるでしょうし……何より、ティオ様の大事なご家族ですから。」
その言葉に、ティオの瞳がふわりと和らいだ。
「お兄様が二人いて、伯爵邸には今そのお兄様達がお住まいなんですよね?それは”原作”にも書いてあったので知ってます!」
「そうそう。両親は長兄に爵位を譲ってから、南部の別荘でゆっくり過ごしてるから婚約式終わってもう帰ってる所だと思うけど……ありがとう、ルシ。兄さんたち、きっと喜ぶよ」
「どんな方々なんですか?次男のリュシアン様は原作で見てたから、少し雰囲気はわかりますけど……」
「んー……一言で言うと、“クセが強い”かな……あと、兄さん二人とも僕の事めちゃくちゃ好きだからびっくりするかも」
「え!じゃあすごく気が合うかもしれませんね」
思わず顔を見合わせて笑い合う、やさしい朝。
新たな関係を築き始めたふたりの、穏やかな時間が静かに流れていく――。
「――っ」
ふとした沈黙のなか、ルシフェリアが肩を震わせ、小さくお腹を押さえるように身を丸めた。
「……ルシ!? 痛いの!? 大丈夫!?」
ティオはすぐに身を起こし、焦った顔でルシの肩に手を添える。
「えっ、ちが……あの、違うんです、違うんですけど……!」
ルシフェリアは顔を真っ赤にしながら、慌てて首を振った。
「ちょっと……昨日のティオ様の、あの時の……その、お顔を思い出しちゃって……」
「え?」
「なんか……きゅんって……しちゃっただけで……っ」
一瞬、ティオはぽかんと固まって――
すぐに耳まで真っ赤にして、がくんと崩れ落ちた。
「……ルシ、脅かさないでよ……!ほんとに痛いのかと思った……」
「ご、ごめんなさいっ……でも、あの顔がほんとに、ほんとに反則で……!!」
「もう……ずるいのは君の方でしょ……!」
顔を赤くしたままティオが照れたように笑うと、ルシは恥ずかしそうに目をそらしながら、ふふっと笑った。
「……ティオ様って、本当に色っぽいんですよ。昨日からずっと、ドキドキが止まりません」
ルシのふいの言葉に、ティオは「えっ」と目を瞬かせる。
「そうなの……?」
「あの声も、あの表情も……私、忘れられないんですけど」
くすっと微笑むルシフェリアに、ティオは徐々に顔を赤くしていき、照れたように髪をかき上げた。
「……もう、恥ずかしいからそんなこというのやめてよ……」
「ふふ。でもね、原作で見てたティオ様は――明るくて、誰にでも人懐っこくて、ちょっと不思議で……。そんなふうに思ってたんです」
ルシフェリアは、そっとティオの手に自分の手を重ねた。
「でも、今のティオ様は……私だけを真っ直ぐに見てくれて、私だけにそんな熱い目を向けてくれて。優しくて、甘くて、ちょっと強引で……でも可愛くて」
「……」
「私、ティオ様のことを“知ってるつもり”だったんだなって。ほんの一部しか知らなかったんだって、気づきました」
まっすぐに向けられたルシの瞳に、ティオは少しだけ目を細めて――優しく笑う。
「もっと……色んな姿、見せてくださいね」
「……うん。全部、見せるよ。君にだけ」
――私は、改めて思った。
この世界で、ティオ様と生きていきたい。
彼となら、どんな未来でも歩いていける。
それが、私の“本当の物語”の始まりなんだと。


