夕方になり、ティオ様が侯爵家にやってきた──
朝からずっとそわそわしていた私は、いよいよという瞬間に胸が弾んで……正直、浮足立っていた。
──のに。
お父様とお母様は満面の笑みでティオ様を迎え入れ、食堂へ案内するや否や、まるで旧友と再会したかのような賑やかさを見せた。
(……あれ?なんで私より家族の方が盛り上がってるの?)
それに応じるティオ様も、口元に穏やかな笑みを浮かべながら、いつもより柔らかい声で会話を返している。
「ティオも早くここに住んで欲しいんだけどなぁ」
「本当ねぇ、いつでも待ってるわ」
ご機嫌な両親の一言に、ティオ様は少し笑って、
「また泊まりに来ますね」
と敬語で返答していた。
(仲が良いのは知ってたけど……両親と話しているティオ様を見るのは初めてかも。しかも、敬語とか使えるんだ……!?)
妙な衝撃と、ちょっとくすぐったい気持ちが胸の奥に広がった。
***
本当は、ティオ様を独り占めして、私の部屋でいちゃいちゃしようと思っていた。
なのに今、応接室ではお父様とティオ様がチェスをしている。
チェスのルールはよく知らないけれど……お父様が頭を抱えているのを見る限り、どうやらお父様が押されているらしい。
お母様はといえば、ティオ様の好きなお菓子を準備して、盤面を眺めながら嬉しそうに笑っている。
「……ちょっと!なんでお父様とお母様がティオ様を独占してるんですかっ!」
思わず立ち上がって怒りながら言うと、
「ルシはいつでも会えるんだからいいだろ」
お父様に軽く一蹴されてしまった。
「まぁ、仕方ないですね……じゃあ楽しんでください。私は寝る支度してきますので」
息を吐いて、そう告げるとくるりと踵を返す。
(ふん、夜は私の部屋で独り占めしてやるんだから)
***
入浴を済ませてテラスに出ると、夜風がひんやりと頬を撫でた。
夜の匂いとその涼しさを感じていると、背後からそっと腕が回される。
聞きなれた声が耳元で囁いた。
「……風邪引かないでね」
「ティオ様……?」
「あ、ちゃんとセシルから通してもらったよ」
振り返るといつもの優しい笑顔があって、安心して身を預ける。
「というか、私の家族……ティオ様のこと好きすぎませんか?」
回された腕をつんつん突きながら、半分文句のように言う。
「君の家族と仲良くできて嬉しいよ」
そう言って、後ろから耳元にちゅっと音を立ててキスされた。
胸の奥がきゅんと跳ね上がる。
(……このまま、私の部屋で……)
と良からぬ妄想を始めたところで──
「じゃあ、また明日ね。僕は客室を用意してもらってるから。おやすみ」
「…………え?」
あっさりと腕を解かれ、振り返る間もなく部屋を後にする背中。
残された私は、夜風の中でひとり呆然と立ち尽くした。
「そんな……」
こんなに甘い雰囲気になったのに、あっさり「また明日」なんて。
(……忍び込んでやる)
私はいつものごとく心の中で決意するとすぐさまセシルを呼んだ。
「セシル! ティオ様の客室、どこ!?」
小声で問い詰め、位置を聞き出すと、髪を整えてナイトドレス姿で意気揚々と部屋を後にした。
***
聞きだした客室の前に立ち、小さく扉をノックすると、片手に本を持ったティオ様が顔を出した。
「ルシ?……どうしたの?」
返事もそこそこに、私はぐいぐいと彼を部屋の中へ押し込み、扉を閉めた。
「……ティオ様が足りないんです」
そのまま勢いで奥へと進み、ベッドに押し倒すと、バサッと音を立てて本が滑り落ちた。
「……こういうとき、ルシってなんでこんなに力強いの?」
笑いながら、ティオ様は覆いかぶさる私をぎゅっと抱き締めた。
「ルシ、もしかしていやらしいこと考えてる?」
「……考えてません」
何もかもお見通しのような目で、ジッと見つめられる。
「今日はちゃんと自分の部屋で寝るんだよ?」
「……や」
「君のご家族も使用人もいるでしょ?」
「この屋敷、どれだけ広いと思ってるんですか?聞こえませんって」
私がそこまで言ったところで、彼は意味ありげな表情を浮かべた。
「……どうかな? ルシ、声我慢するって言っても、すぐ出しちゃうでしょ?」
片方の口角を少しだけあげて笑われて、言葉が詰まる。
「……じゃあ、キスしたら送っていくから」
「嫌……我慢するから、一緒に寝るだけ……お願い、ティオ様」
ティオは一度ため息をついたものの、結局ルシの頭をぽんと撫でる。
「……ルシからお願いされたら、僕が断れないのわかってて言ってるでしょ」
そうしてそのままベッドに横たわると、当然のように彼の胸元に身体を寄せた。
柔らかな金の髪がティオの胸に触れて、甘い香りがふわりと広がる。
ティオは少し困った表情を浮かべたものの、結局その小さなわがままを受け入れて、ルシフェリアを腕の中にすっぽりと収めた。
「ねぇ、ティオ様。……こういう時でも本読んで、勉強してるんですね」
「うん。手持無沙汰な時はいつも読んでるかも」
そんな何気ない会話をしながら、ルシはぽつりと打ち明けた。
「ティオ様、いつも頑張ってるのに……私、何も自分のやるべきことやってなかったから。ちょっと頑張ろうと思って、後継者教育をちょこーっとだけやってみてるんです」
彼は一瞬驚いたあと、ふっと優しく目を細めて、どこか誇らしそうに微笑んだ。
「……ルシ、すごいね。僕は支えることしか出来ないけど……」
「違うんです。ティオ様がいるから……ティオ様と一緒に、これから住む領地になるから、守らなきゃって思って。私は生まれも違う国だし、私が何を出来るかもわからないけど……」
そこまで言うと、ティオ様は笑顔で「ありがとう」と小さく告げてくれた。
優しく頬を撫でながら、穏やかな声で言う。
「ルシってすごく記憶力いいし、目の付け所が独特だからさ。きっと領地を守る上で役に立つよ。でも、疲れた時はいつでも僕に甘えて欲しい」
胸がいっぱいになって、私はぎゅっと首に腕を回して抱きついた。
抱きついたまま、そっと顔を上げて、ちゅっと短くキスを落とす。
「……ほんとに何もしないんですか?」
「約束したでしょ」
穏やかな声で制されても、じっと見つめ返してしまう。
「……じゃあ、交換条件です」
にやりと笑いながら、彼の胸に指をすっと滑らせる。
「……次、ティオ様の別邸に行ったとき、いっぱいしましょ?……私の足腰が立たなくなるまでしてくれたら、許します」
その一言に、ティオ様は一瞬固まり――みるみる耳まで赤く染まっていった。
「……ルシ……」
その反応に満足しながら、ぬくもりに包まれたまま私は目を閉じた。


