セレナとレオンの新婚旅行も、終盤を迎える頃ーー
リナは午後の光がゆるやかに差し込むテラスで、セレナと二人きりでお茶を囲んでいた。
温かな香りが漂う紅茶の湯気の向こうで、セレナが少しだけ申し訳なさそうに呟く。
「……リナ、旅行、楽しめた? 本当はもっといろんな所、一緒に行きたかったんだけど……レオンが……」
ちらりと視線を逸らすセレナに、リナはふっと優しく笑みを浮かべて応えた。
「新婚旅行ですから、お二人でゆっくりされてくださいませ。……ご心配なく、私も十分楽しませていただきました」
リナそう言って、そっと紅茶に口をつけると――
ふと、潮風の香りを思い出す。
(たしか、あれは到着した翌日。皆で海に行ったときのことでしたね……)
***
潮の香りと波音が心地よく響く朝。
ご夫婦と、アレク様と私の四人で海辺へ繰り出した。
海辺の散策を終え、セレナ様とレオン様は早々に宿へと戻られ――
気がつけば、私とアレク様のふたりが、海辺に取り残されたような形になっていた。
「……嵐のように、去っていかれましたね」
ついぽつりと、そんな言葉が口をついて出る。
その横顔を見ながら、アレク様が肩をすくめて小さく笑った。
「まあ、新婚旅行ですし。好きにさせてあげましょう」
「……左様でございますね」
以前は少し緊張してしまっていたその存在も、今ではこうして並んでいても、さほど気まずさを感じなくなっている。
――柔らかな日差し。
寄せては返す、白い波。
隣に座る、アレク様の横顔。
「このあとは、何かご予定でも?」
ふと問いかけると、アレクは砂に描いていた指先の動きを止め、わずかに目を細めた。
「……リナ嬢が海に飽きた頃に、戻って鍛錬でもします」
「……お元気ですね」
「その言葉は、そっくりお返しします」
言葉少なではあるけれど、どこか優しさのにじむ返しだった。
そうして、しばらくは波音だけがふたりの間を満たした。
やがて私たちは並んで腰を上げ、静かに浜辺をあとにした――
***
「……そんな感じで、あの日はアレク様と、二人で海を眺めて帰りましたね」
お茶をひと口すすると、向かいのセレナ様がにやりと口元を緩めた。
「へえ……アレクと、けっこう仲いいよね?」
「……っ!ただの……仕事仲間ですよっ!」
思わず声が上ずる。
誤解されては困ると慌てて言葉を重ねる私に、セレナ様はくすくすと楽しそうに笑った。
「ふふ、ごめんね。なんだかリナとアレクが仲良いの嬉しくて」
「……もう、からかわないでくださいよ」
肩をすくめながら、お茶を口に含む。
穏やかな午後の日差しが、テラスのティーセットを優しく照らしていた。
「それからですね、別荘の使用人の方ともお話する機会がありまして。何人かと仲良くなって――」
そう言うと、セレナ様がぱちりと目を瞬かせた。
「リナってほんとすごい。色んな人と仲良くなって。……雰囲気も柔らかいし、話してると本当楽しいから」
「い、いえいえ……そんなことは」
少しだけ照れながらも、話を続ける。
「それで、ユノさんを紹介していただいたんです。とてもマッサージが上手だから一度施術受けてみて、とーー」
***
リナが別荘の使用人に紹介されたユノという名の使用人。
試しに彼女の施術室へと足を運んだ。
「失礼いたします。リナと申します。本日はよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げると、奥の方からすっと姿を現したのは、肩の上で切り揃えられた濃い紫の髪に、猫のような金色の瞳を持つ女性だった。
「こちらこそ、よろしくお願いします。すぐに始めますね」
彼女はそれだけを告げると、手早く準備を整え、すぐにマッサージを始めた。
その指先は無駄がなく、力の入れ方も絶妙で、次第にリナの体から力が抜けていくのがわかる。
「……相当、お疲れですね」
「そうなんですかね……? まあ、毎日やることが多いですから。けど、好きな仕事なので、大変とは思ってないんですよ」
肩に入った圧が、心地よく奥まで沁みていく。
どこか不思議な、でも懐かしいような感覚に包まれて、目を閉じると少しだけ夢うつつに落ちそうになる。
そして、施術が終わる頃――
「……わあ。体が、すごく軽いです!」
ベッドから起き上がったリナが、ぱっと表情を明るくする。
「よかったです。……疲れは、溜めすぎないようにしてくださいね」
ユノさんが落ち着いた口調でそう告げると、リナは少し迷ってから、ふいに声を弾ませた。
「あのっ……奥様に、ユノさんのことをご紹介してもいいですか? 絶対喜ばれます!」
ぱっとその手を取る。驚いたように目を丸くしたユノさんは、少しだけ頬を染めて目を伏せる。
「……はい」
短く、それだけ返す彼女が、どこか照れているのがわかって、リナは思わず微笑んだ。
(……可愛い方)
そのまま、ふたりの空間に小さな春風のような空気が流れた。
***
カップに口をつけたリナは、ふわりと微笑んだ。
「絶対に、セレナ様にも施術を受けていただきたいと思って。すぐにお声かけしたんですよ」
「ありがとう、リナ。……本当に、上手だった。レオンにも、ユノから教わったやり方、試してみようかな」
そう言ってセレナが笑うと、ふたりの間に柔らかな笑い声が広がる。
「他にも、使用人仲間と一緒に街まで出かけたり、屋外で食事をしたりして。……とても満喫できました。一緒に来ることができて、よかったです」
そう伝えると、セレナ様はほっとしたように微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、リナの胸にあたたかなものがこみ上げてくる。
(……私のような一使用人のことを、こんなにも想ってくださる。なんて、心の優しい方なんだろう)
いつか、彼女のそばにいることが当たり前になってしまわないように。
こうして時々、改めて気づくたびに――もっと大切に、もっと支えになりたいと、思わずにはいられない。
(ずっと、お仕えしていこう)
静かに、そう胸の中で誓いながら、リナは再びカップを手に取った。
その温かな香りが、春の余韻のように心を包んでいた。
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