お父様の”無実を証明する”その点に絞れば、ミルフォード侯爵家の本当の帳簿を提出すれば良いだけ。
それはお父様が残してくれた資料によって、簡単に証明することは出来そうだった。
とはいえ、私の個人サロンと比べて──侯爵領ともなれば、帳簿の量は桁違いだ。
パソコンみたいに便利なものはもちろんない。
私はただひたすらに何時間も机に向かい、ペンを走らせていた──
蝋燭の炎が小さく揺れて、書類に落ちる影がゆらゆらと踊っていた。
深夜の屋敷は静まり返り、紙をめくる音とペン先のかすかな擦れる音だけが響いている。
(指も手首も痛いし、頭も痛い……でもティオ様も一緒に整理してくれてる……頑張らないと!)
セシルには『下がっていいよ』と声を掛けたのに、定期的にお茶や軽食を運んで来ては世話を焼いてくれる。
カップの温かさが、張り詰めた心を支えてくれた。
「ルシ、休憩しなくて大丈夫?」
集中が切れないように、書類が一区切りしたタイミングを見計らって声を掛けてくれる。
「……大丈夫です、昨日ティオ様のおかげでいっぱい寝れたから」
──それからも手を動かし続け、気づけば窓の外が白んでいる。
虫の声は止み、代わりに鳥のさえずりが遠くで響いていた。
インクの染みが広がる指先に目を落とした瞬間、ふと胸の奥に不安が滲む。
「……ねえ、ティオ様」
私は視線を落としたまま呟く。
「……でも、公爵家が本当に深く噛んでるなら──司法局は帳簿なんて最初から見ようともしないかもしれない……」
言葉が弱気に傾くのを、自分でも感じた。
すると、ティオは立ち上がると、私の頭を撫でた。
「大丈夫だよ……ルシは作業を続けてて。僕、少し出てくる」
その低い声に、不思議と心が落ち着く。
朝日が部屋に差し込む中、私は彼の背中を見送り、再びペンを握り直した。
(……もう朝だ、でもまだ頑張らないと……)
ティオが部屋を出てからも、私はただ黙々とペンを走らせた。
紙の上を滑る音と、時計の針の進む音だけが部屋に満ちる。
その無機質な音に思わず泣きそうになる。
でも──お父様は、一人で、きっともっと心細い思いをしている。
「……弱音なんて、吐いてる場合じゃない。もうちょっと……!」
自分にそう言い聞かせ、ペンを握り直す。
***
数時間後──
「……できた!!!」
ペンを放り投げ、両手を上げて開放感を味わう。
「でも最終チェックしないと……ティオ様戻ってくるまで確認しよう」
はやる気持ちを押さえ、山のように机に散乱している資料をまとめ始める。
少し経った頃、扉が静かに開いた。
「……ごめん、ルシ、お待たせ」
ティオがそう言って、私の手をそっと握る。
「作業どう?手伝うことある?」
「……ちょうど終わってチェックしてたところです!なんとかまとまりましたよ」
ティオと顔を見合わせ、そのまま強く抱き合う。
(……ティオ様がいなかったら、きっとくじけてた)
セシルが目をこすりながら入ってきて、「お疲れ様です……」とお茶を差し出した。
「あともうちょっとだけ時間ください。……あとこの束確認します」
一睡もしていないはずなのに、興奮が疲労を押しのける。
最終確認をすると、お茶を一口だけ飲み、すぐにティオの腕を引いた。
「行きましょう!」
二人で馬車に飛び乗る。
車輪が石畳を叩く音の中、私は資料を胸に抱きしめたまま、ティオの肩にもたれかかる。
「……ティオ様も、寝ずに付き合ってくれてありがとうございます」
ティオは軽く笑い、私の頭にこつんと額を当てた。
「侯爵様も、僕の家族になるんだから。当たり前でしょ。僕は何もしてないよ。頑張ったのはルシだ」
胸の奥がじんわりと温まる。
「……ちゃんと証拠として認められるかな……」
「うん、きっと大丈夫」
その短い言葉が、不思議と大きな力をくれた。
馬車が止まり、司法局の威圧的な門が目の前にそびえ立つ。
深く息を吸い、私は一人で足を踏み入れた。
司法局の重たい扉を押し開け、石畳の廊下を進む。
受付に目をやると──
(あれ、あの無表情の人がいない……)
名乗ると、予想外にも即座に応接室へ通された。
ほどなく現れた職員は、丁寧に書類を受け取り、静かに告げた。
「確かにお預かりします。精査のうえ、公正に判断いたします」
短いながらもはっきりとした口調。
深々と頭を下げると、そのまま部屋を去っていった。
(……え? あっさりすぎない……?)
私は拍子抜けしたまま司法局を後にした──
外で待っていたティオと馬車に乗り込む。
満身創痍の中、私は恐る恐る尋ねた。
「あの……ティオ様、何かしました?」
「……何が?」
にこりと笑う姿がそこにあった。
その笑みに、胸の奥の緊張がふっと切れ、視界がかすみ、そのまま意識が闇に沈んでいった。
***
数時間後──
セシルは仮眠を取った後に、従者長の元を訪れた。
「お嬢様とティオ様が帰ってこられて、応接室にいます。上手くいったと仰ってました」と言われ、奥様をお連れして二人で応接室に足を運んだ。
ノックをするも、返事はない。
そっと扉を開けると──
昼下がりの柔らかな光が差し込む室内。
上着を掛けられ、ティオ様の膝に頭を預けて横になるお嬢様。
その肩を守るように、座ったまま眠っているティオ様の姿。
その穏やかな寝顔に、思わず奥様と顔を見合わせる。
口元に笑みがこぼれる。
「……もう少ししてから、話を聞きにきましょうか」
小声でそう囁き合い、静かに扉を閉めた。


